鎌倉 明月谷の家
第三回 「プラン」
月を愛でる仕掛け
谷に日が落ちると山は月の光で輝きをまします。そんな場所にこの家は建っています。
腰かけてゆったりと月を眺めることにしました。
一階には大きく張り出した軒庇の下に木製の濡れ縁を設けました。水平に区切られた軒線が額縁になり離れの茶室を風景に山の上に懸る月を眺められます。
二階には、小屋へ導く木とベンガラ色に塗られた鉄の組み合わせの階段が目に入ってきますが、その奥に書斎コーナーとしても使用できる広縁に無垢材の腰かけを設けてここでもゆったりと時を過ごす場所になっています。さらには広縁の窓外にもバルコニーを造っています。
最終案に落ち着くまでに他に二案を計画しています。
南側の玄関、北側の玄関を計画し、最終案は東側入り玄関に落ち着きました。
玄関に続く土間納戸はキッチンからも使える勝手口機能を持たせ、庭の道具もしまえます。玄関を挟んだ納戸の反対側に一坪ほどのコーナーを設けました。特に機能を限定せず、風を感じながら過ごしてもらうことにしています。低い椅子を置いた語らいもいいかもしれません。
洗面所等の水回りは、お母さんの部屋からの利便性を考えて設置しています。
家族の団欒は、主に一階食卓で時間をとって過ごせる場にしています。TVはオープン階段に併設したカウンターに載せてコーナーとして過ごしてもらいます。
外部の壁は鉄錆色で木部は黒色と個性が強く出たOMソーラーの家が北鎌倉に完成しました。
第二回 「残す」
母屋、独居の一庵と茶室からなるこの「最明庵」。建て替えにあたり母屋の思いを少しでも残す算段を考えました。色艶の出た丸太の柱、松の甲板、各種の扉や障子を再利用してます。もともと玄関外に掲げてあった扁額は玄関中に移して再設置をしました。家の顔が収まりました。
小屋に使われていた丸太、自然木の床柱は親の部屋一本、もう一本は居間の中央に使いました。脂松のような甲板は、玄関正面の収納の甲板に収まっています。虫に食われてはいますが、それが風景になっています。
材料の自然な日やけや傷はかえって趣を醸し出しているように思えます。
裏手の崖は、鎌倉ではよく見られる風景のようですが、家を建てる側にすると大いに心配の種です。敷地の崖は軟岩で擁壁を要しない勾配の上限が60度と最も条件のいいもので、元の家もこの範囲外ぎりぎりに建っていました。昭和初期に崖に関する条例があったのでしょうか。それとも経験知をお持ちだったのでしょうか。興味が湧いてきます。
そういえば井戸もあります。何かいろいろの風景と文化が入り混じった家づくりになりました。
第一回 「名月を愛でる」季節になりました
旧暦9月の13夜の月が名月だそうで、今年は10月17日頃になるのでしょうか。
『昭和三年五七歳の時、あじさい寺で知られる明月院の向いに居を移した。そして、母屋、独居の一庵と茶室からなるこの「最明庵」で、自ら百年と決めた一生に十年早い昭和三十六年まで、三十余年を悠々と楽しんだのである。』(優雅の生涯-『なごみ』より)
その後、この庵は住みつがれてきましたが、同居することになり母屋を建て替えることになりました。敷地は広く緑に囲まれた渓谷のような場所ですが、裏手には高い軟岩のがけを背負っています。ここには洞窟が掘られてあります。歴史を感じさせるこの風景を残すように擁壁を造らないことで計画を立てました。崖からの離れも確保でき家プランがまとまりました。
いえづくりにあたり「名月を愉しみたい」とご主人から要望がでました。現場に佇んでいると向いの明月院の上を月が通っていきます。名月でした。そこで、二階の縁側的広間からお月見用のバルコニーに座って観月を楽しめます。そして、軒深い庇が掛る一階には、庇の下に離れを風景に取り込んでお月見する濡れ縁も設えました。ほかにもきっといい月を眺める場所が出てくると思います。
既にある庭との関係性もポイントの一つでした。先代が収集された石像、石碑が庭に点在しています。その間を抜けてゆくと玄関へ着きます。庭にひと手間かけて昔の面影が戻ればと思っています。