可喜庵亭主ブログ
入道雲
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帰宅途中、西の空に孤高に聳える入道雲を発見。なんと、稲妻、稲光がひっきりなしに雲の中で暴れていました。花火に負けないナイトショーを堪能できました。
真夏の風物詩の一つが入道雲。子供の頃真夏の太陽を気にすることなく遊びほうけていると、もくもくと空に伸びる入道雲は迫力と美しさを感じたものでした。そして、夕立が涼しさを運んでくれることを期待したものです。
大森駅にほど近い縄文遺跡の大森貝塚を訪れて、貝塚の崖下を東海道本線がひっきりなしに走っていました。明治10年東京大学で教鞭を執るためアメリカから来日した動物学者エドワード・モースが(1838~1925)、横浜から東京に向かう途中、蒸気機関車に牽かれた車窓から景色を眺めていて偶然に発見したのがこの貝塚です。当時は、線路の先に青々とした海が開けていました。波打ち際を進む列車からの潮風の臭いと風景はどんなものだったのでしょうか。今では、海は埋めたてられ建築が立ち並んで、海の陰形もありません。
上野の森(明治に入って上野公園になりましたが、徳川時代は寛永寺の境内でした)に、愛犬と一緒に台座に目線を上野の街に向けて立つ西郷ドンがいます。西郷ドンも広々とした海を眺めていたのでしょう。上野の街を形作る建築で覆い尽くされ海の見えない風景になっています。
このところの異常気象と呼びたくなるような天気に翻弄されている気がします。熱帯地方と間違えるような豪雨になったり、水銀寒暖計の目盛が天に向かってぐんぐんと伸びていきます。地球温暖化でしょうか、どこまで異常になるのでしょうか。
海の青さと空の青さを楽しむには、広さが必要です。
長野の友達が、「東京には空がある」と話すのを聞いて不思議に思ったことがあります。周りを山で囲われている長野には、「空がない」と感じるのだそうで、確かに視界が狭められてこんな思いになるのだと納得したことがあります。
会社の周囲も大きく変貌しました。数年前まで田圃が広がっていました。この季節は水の張った田圃に清々しい緑色の稲穂が日々水面を覆い尽くすように成長していきます。そんな風景の中でカエルの合唱をバックに小川でドジョウやタニシ取りに熱中して唇を青くしたものです。見上げると、大入道雲がにょきにょき。暑さの中にも涼しさを感じたものでした。
そして、時代は田圃の稲穂が家並に変わり「空も消えていきます」。
稲妻のナイトショーの中の地域の人は、愉しめたのでしょうか。