史記の言葉で、桃の木の下には自然に人が集まり道ができることから、自然に人がしたい寄ってくることのたとえ。そんな家づくりをめざしています。
子供心に残る風景に、家の前に広がる田圃の先をこげ茶色の二輌連結の電車が走っていました。
一輌はボーとした白熱電球、もう一輌は明るい蛍光灯の米軍(進駐軍と呼ばれていた)専用車。その車内の明るさの違いに驚きと憧れを抱いたものです。
イギリス、フランスでの暮らしは歴史の重厚さの中に明るさがありました。歴史を残しながらも暮らしの変化に応じて趣を大きく変える発想力と情熱を感じました。
高度成長の日本は過去の一掃が当たり前のように進んでいました。自分たちの過去が消え失せていく寂しさを感じ、生家の茅葺の家「可喜庵」に愛着を持ち「普通の家」の素晴らしさを理解するようになりました。
二つの原風景が心の風景となり、残したくなる「普通の家」を創る楽しさを感じています。
- 南多摩郡鶴川村字能ヶ谷に生まれる。
- 1971年
- 東京都市大学(旧武蔵工業大学)建築学科卒業広瀬鎌二研究室
- 1971年~
- 渡欧
- 1972年~75年
- 渡英
ERNO GOLDFINGER設計事務所
RSRP (Richard Sheppard,Robson&Partners)設計事務所勤務
- 1976年
- 帰国。鈴木工務店を継ぐ
- 1977年
- 有限会社鈴木工務店設立
- 1987年~
- 町田青年会議所理事長、能ヶ谷町内会長、町内会館建設:委員長などを歴任、地域活動に努める