労労山房
寒晴
余りにも空が青いので写真にしたのですが、この空の色 すがた 一体何というのか判らず 困惑していました。本屋で雑誌をめくっていたら 出てきたのです。
寒晴やあわれ舞妓の背の高き」飯島晴子
京都の底冷えがからっと晴れ上がった寒晴。着飾った舞妓に出会った。背が高い。
舞妓の背の高いとは、なんとあわれなことよ。
「寒晴」は寒中の晴天を指すそうです。もう20年も以前の句です。俳句の季語はなぜか決まりきったイメージがあるのですが、日々新たなものが生まれているのです。
凄い。
さて本題「余は如何にして 勞勞山房を名乗りしか」
怖い話はいずれということで 出典を示します。
「勞勞」は李白の詩「勞勞亭」より採り 亭の部分はこのあたりの景色には少しそぐわないので 山房(山小屋)とし「山房」は斉藤茂吉の「童馬山房」より採りました。今流で言えば「パクリ」クラシックに言えば「本歌取り」と言うことです。
個々の説明は ネットで引けば直ぐに出てきますので 省略します。
そして「勞勞亭」にちなむ 柳の木(成長が早く生命力の象徴)を3本(山房)植えて それぞれに名前をつけて遊んでいます。1本は 李白の柳、1本は大観の柳(風蕭々兮易水寒の中に描かれている)、もう1本は 仙崖和尚の柳(気に入らぬ風もあろうに柳かな)、そして予備のために植えた4本目は 小村雪岱の柳(青柳)
田舎の親父のささやかな遊びです。
1月30日 金井 勞勞山房 亭主敬白