マイヨールのモデル

三菱一号館美術館で「美の預言者たち―ささやきとざわめき オルセーのナビ派展」を見た。「ナビ」にはなじみがなく、ヘブライ語で「預言者」を意味することを知った。19世紀末のパリにゴーギャンの美学に影響を受けた前衛的な若き芸術家グループによって、あらたな美の「預言者」になるべく結成されたのが「ナビ派」であった。代表的な作家には、ボナール、ヴュイユール、ドニなどがいて、以前にみたバロットンもその一人あった。

1861年スペイン国境近くのフランス南部に生まれ、エコール・デ・ボザールで学びナビ派の画家たちと親交を深めた、画家マイヨールは、視力を弱めてことで40歳過ぎで彫刻をめざすことになった。多くの彫刻作品がルーヴル美術館とコンコルド広場の間に位置 するチュイルリーとカルーゼルの庭園に20点の彫刻が展示されています。これらのモデルを務めたのが、ディナ・ビエルニーという女性で、マイヨールの死後は彼の版権で財を成したそうです。彼女のカントリーの住まいがランブイエから30分程にあるミッタン・ヴィレという村にありました。

住まい、農小屋と馬の牧場がある広大な敷地を購入して、彼女は住んでいました。芸術作品のコレクターでもあるようでしたが、骨董馬車のコレクターで馬蹄形の小屋に自慢の十何台かが整然と並んでいました。住まいを案内してくれたのですが、記憶にあるのは、バスルームでバスタブ、蛇口、タイルなどすべてが金色でした。錦鯉が泳ぐ池と芝生の庭は、好きな日本庭園風と語ってくれました。その庭に、一体の裸婦像が置かれていました。彼女曰く、「マイヨール作の若かれし自分」とのこと。なんと贅沢な風景を造り、楽しんでいました。

彼女の設計で別宅を施工中で、この家の使用している材は、中世の石の窓枠や古材をふんだんに再利用をして古き良きものを残すのだと張り切っていました。でも気に入らない工事はやり直すと、完成した螺旋階段は再工事をするとの話に驚いた。その後、何年その家に住んだかは知らないが、きっと手を入れつづけたのではないかと想像します。そして、今は天国からこの世に残した自分を眺めてニコニコしているのではないでしょうか。once upon a time there was a beautiful lady.

 

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