2/11(土)に茅葺の可喜庵での連続講演サロン「可喜くらし」を開催しました。今回は、一家でドイツに1年間留学して昨夏帰国した木村さん家族によるお話しです。
検索ではわからない、ドイツの暮らしや人々の感性を肌感覚で感じられる家族のおはなしに興味津々
検索や旅で訪れただけではわからない、そこに暮らしたからこそみえてくるものを木村ファミリーが伝えてくれた、そんな可喜くらしとなりました。木村護郎さんは上智大学でドイツ社会学を教えています。奥様の恵さんは美術教師でイラストレーター。長男長女は高校生で、1年間現地の学校へ通っていました。留学先は旧東ドイツの都市であったライプツィヒ。東西ドイツ統一後のまちづくりによって、近年は「ドイツの魅力的な中心街」ランキングで1位になったこともあるなど移住者も増えているそうです。
講演は、4人それぞれがテーマをもって交替でお話ししてくれました。1番手の護郎さんがライプツィヒ都市構成の総論を展開。次に長男さんが人と自転車中心の交通について、恵さんが住まい手目線のまちと暮らし、長女さんが10代の友人との時間をダイアリーのように綴ってくれました。
衣食住なら断然“住”を重視する。家に人を招いてひたすら話す国民性?
護郎さんからまずはじめに、「ドイツ人は衣食住なら住を一番大事にする」とのこと。これは、2000年前にローマの歴史家・タキトゥスが記した『ゲルマニア』にも例があるというから、太古の昔からの国民性のようです。一方で食や衣には疎く、護郎さんいわく「(ヨーロッパの中でも)ドイツ人はすぐわかる。ダサいから」と。護郎さんもドイツ人のDNAが入っているのですが、「サイズの合わないTシャツを着ていても平気」と自虐ギャクのように愉快に話してくれました。長女さんもあえて左右ちぐはぐな靴下で登場。朝の身支度で間違えて履いても、気にせず登校してくる友人は珍しくないそうです!
食事へのこだわりも薄いそう。調理不要のサラミやハム、チーズをビールと一緒につまむ感覚とか。客人に対しても同様で、温かい食でもてなすというよりは、整った居心地のいい空間でひたすら議論を楽しむのが通例。「ドイツ人の家はいつ家に人が来ても、わざわざ掃除をする必要がないくらい整っている」といいます。
東西ドイツ統一後に再整備されたコンパクトシティ・ライプツィヒの魅力
総論でドイツの国民性に触れたところで、引き続き古都であり再整備されたコンパクトシティでもあるライプツィヒについて。1)中心街 2)公園・緑地・小川 3)交通網 という3つの構成を示してくれました。
1)は、中心街を取り巻く3つの渦巻(人のみ入れる中心街、その外側に自転車OKエリア、さらに外側に自動車道)きで構成されていること。2)ではまちと暮らしとセットになっている公園や自然が、「食べたら、歩く」という散歩好きのドイツ人のライフスタイルに不可欠な場所になっていること。3)は中心街から放射状に延びる市電網や自転車高速道路などについて。
なかでも興味深かったのは、都市開発の際に緑の補償制度があるということ。「自然に損傷を与えるときは、同等の自然を他所で回復しなければならない」という法律があるそうです。今では、ドイツ中から注目される魅力的なまちですが、旧東ドイツ時代は住宅も駅舎も老朽化が放置され廃れた印象だったようです。護郎さんが30年前に訪れた際は、「(今は観光名所のひとつでもある)旧東ドイツ時代からのライプツィヒ中央駅に到着すると、当時は“地獄へようこそ”とでもいうような荒廃した雰囲気にのまれるようで、ちょっと怖いくらい」とユーモアたっぷりに思い出話を披露してくれました。
統一後の都市開発では、旧東ドイツ時代の建物を緑の補償制度の代替地として市内に残しておく政策が採られ、公園化や緑化が進んでいったそうです。東西統一の前に、まちの老朽化や空き家問題が深刻化したライプツィヒですが、その空き家を活用したまちの再整備については、恵さんからも紹介がありますので、おたのしみに。
参加者の大里さんによるfこちらのacebookにも、可喜くらしの様子が詳述されています。