第35回 可喜くらし 町田の一人出版者・と文芸誌〜ウィッチンケアを作り続ける理由

6月8日(土)に茅葺の可喜庵での連続講演サロン「可喜くらし」を開催しました。今回は、玉川学園で「玉川つばめ通信」というフリーペーパーを作っている私、宇野津暢子が、町田で文芸創作誌「ウィッチンケア」を一人出版者“yoichijerry(屋号:よいちじぇりー)”で作り続けている先輩ライター&編集の多田洋一さんに質問し、対談する形で会を進めました。ウィッチンケアを通して見つめる、本と本屋さんと出版にまつわるお話しです。

文芸誌を作ろうと思った

きっかけは50歳のとき

フリーランスのライター&編集者として雑誌の企画制作、テレビドラマの公式本制作などに長年携わっていた多田さんに転機が訪れたのは50歳、2009年の冬のこと。同年春には体調を崩して手術と入院。夏には某文芸誌に原稿を持ち込んだものの“散々ないわれよう”だったそう。生来、楽観的でめげない性格という多田さんですが、「さすがにこのままじゃ、ちょっと」と思ったとか。「流され続けていたら、このまま。きっとどこかにサドンデスが待っている。それはいやだ」と、自らの意思で本を作ることを決めたといいます。

写真中央、キャップをかぶって座っているのがウィッチンケア発行人の多田洋一さん。発行するだけでなく、多田さんこそ創刊以来、この誌に物語を書き続けている人。「ウィッチンケアを始めた理由の半分は『オレの書いたものを読んでください』ってことです」と多田さん。写真中央、立っているのが可喜庵亭主、鈴木会長。左はインタビュアー宇野津。静岡からいらした方もおり、和やかな雰囲気で会が進みました。

Witchenkare(ウィッチンケア)』って

どんな意味ですか?

『Witchenkare(ウィッチンケア)』の創刊は、2010年の4月1日、エイプリルフール。当時の多田さんは燃えていて、「これからつくる文芸誌は今までなかったものにしたい。誌名も今までないものにする!」としばらく思いを巡らしました。「『クロワッサン』、『ロッキング・オン』、『マリクレール』……など、気になる雑誌名をいくつか口ずさんでみて、7文字くらいがいいなとまず思いました。また、文芸誌のテーマは生活に根ざした内容にしたい、だから『Kitchenware(キッチンウェア・台所まわり)』みたいな感じがいいな、と。そこで、アナグラムの造語『Witchenkare(ウィッチンケア)』(Kwを入れ替える)を思いついたんです」。しかしながら、このなんと読んだらいいかわからない、意味もわからない名前のせいで、その後苦労を負うことになったという多田さん。「14年たった今でも『これなんて読むんですか?』とよくいわれます。ウッチンケア?ん?ウィッチケア?などと聞き返されることも多く、『自分でつけた名前だから文句はいえない……』と忸怩たる思いです」と笑います。検索にも引っ掛かりにくいし、本屋さんや取次会社とやり取りするときにも余計な面倒が発生するしで、「もしみなさんが今後雑誌を創刊するなら、明瞭簡潔な誌名のほうが絶対いいです」と、経験を踏まえたアドバイスをいただきました(笑)。

2024年4月1日に発行された最新号、ウィッチンケア14号。表紙にごちゃごちゃ文字を載せないのは多田さんの方針。今春は一時期Amazonでも品切れが続くなど、大変好調な売れ行きでした。ぜひお買い求めください。本体1,800円+税 yoichijerry(よいちじぇりー)

作って、売ってみてどうでしたか?

慣れない本屋さんへの営業など

大変だったんじゃないでしょうか?

「そうなんですよ。本をつくることは楽しくて、一気に完成まで漕ぎ着けましたが、肝心の『本を流通させること』に無頓着なまま制作してしまいましてね。いよいよもうすぐ家に500冊届く、となってから『やばっ、出来上がった本をなんとかしなくちゃ!』となり、簡単なレジュメを持って、都内の各書店への営業を始めたんです。書店員さんに『すいません、ちょっといいですか?』と話しかけても、『だれ?このあやしいおっさん?』という目で見られたりもしてキツかったですね。ああ、若くてかわいい人ならもっとスムーズに話を聞いてもらえるのかも、なんて当時は思ったりもしました」

とはいえ、営業の成果で、実物の創刊号が家に届く頃には、都内の5店舗ほどに並べてもらえることになったそう。その後、「他の書店で見たのですが、うちにも置かせてください」と連絡をもらうようになり、さらに三省堂の本店からも声がかかるなど、ウィッチンケアの流通がじわじわ動き出しました。大手書店から「取次会社を通してください」と言われ、その過程で知り合った“地方・小出版流通センター”の担当者の厚意で大型書店にも置けるようになり……と、作った500冊が各書店に羽ばたいていきました。

「この営業体験はすごく勉強になりましたね。どんな大書店でも、まずは扉を叩いてみることが大事。実は大きい書店の方が間口が広くていろんな人がいるので、運次第でもありますけど、よき理解者に出会える可能性が高いです。逆に店主さんの顔が見える本屋さんは、その人が裁量権を持っていますから、最大の敬意と細心の注意を払ってコンタクトをとったほうがいいでしょう」

現在執筆陣は40名を超えていますが、

どのように執筆者を選び、

執筆依頼をしているのでしょうか?

「『ぜひこの人に!』と思う方に連絡をして寄稿依頼しています。以前は手紙を書いたりメールをしたりしていましたが、最近はS N Sという便利なものがあるので、InstagramやX経由でまずやりとりする機会が増えました。20代の新たな書き手に依頼することもありますが、不審者だと思われたらどうしよう・・・と最初は緊張します(笑)。あとは、いわゆる独立系書店の店主さんに『最近だれの本が面白いですか?』と直接聞きに行ったりして、執筆依頼する方には『◯◯書店の△△さんの推薦で連絡させていただきました』と前置きをしてメッセージすることも増えました。ウィッチンケアが書き手にとって、新しい創作のきっかけになるといいなと思っていて、『いつも書いてらっしゃるものとは全然違っていいので、今あなたが書きたいと思っているものをお願いします。ぜひ試しの場として小誌を利用してください』とお伝えしています」

本と本屋さんを取り巻く環境について思うこと、

またウィッチンケアとして今後の展望があれば

教えてください。

「創刊当時から振り返ってみると、ほんとうにこの10年、本を取り巻く環境は変わりましたね。かつて私は代々木上原に仕事部屋を持っていたのですが、仕事部屋に行くときは、小田急線の代々木上原駅前の幸福書房に行って雑誌や新刊をチェックするのが日課でした。それはもう朝起きたら顔を洗うのと同じくらい、生活の一部だったんです。ですが今、代々木上原にその本屋さんはありません。電車に乗っても、本や雑誌を読んでいる人は見かけませんし、満員電車で新聞を上手に折り畳んで読んでいる人なんて皆無ですよね。1年前と比較しても、紙代、印刷費、発送の流通費も軒並み高騰して、本屋さんにとっても出版する側にとってもさらに厳しい時代になりました。そんな時代ですが、ウィッチンケアは紙の雑誌として、非ネット媒体として、『手に取らなければ読めない、面白いものが詰まっている本』という自負を持って作っています。今後も作る予定です。ネットを見れば簡単に内容を確認できる世の中ですが、ぼくは実物を手に取って、『こんな感じなんだ』とフィジカルに実感するのが好き。ですので、みなさんにも実際に手に取ってもらい、『誰がどんなことを書いているのか』を気にしながら、知らない筆者の何だかわからない題材の作品などもぜひ読んでいただきたいです。きっとおもしろさが倍増しますから。また、ご理解くださった本屋さんとは、少しずつでもつながりを持ち続け、これからもサバイブしていきたい。それが自分の身の丈に合っていると思っています」

最後に、小説やノンフィクションを書きたい、

本を出版したい人に、編集者としてのお立場

からメッセージをお願いします。

「かつては本を出版するとなると、賞に応募するとか、出版社に持ち込むとか、その窓口は限られていました。しかし、今はいい時代になりましたよ。S N Sで書けば、だれでも気軽に発信することができますし、例えばAdobeの“インデザイン”というソフトを使えば、ページのレイアウトを自分で組むこともできるんですから。今は自分で本を作って、自分で流通させることもできるんです。だから、まずは書いてみて、“note”などのWebサイトサービスを使って投稿するのがいいと思いますよ」

今回のテーマは文芸。そこで会の〆に、参加者全員で「むちゃぶり企画!全員で一文ずつつなげて小説を作ろう」を行いました。

最後のオチをつけたのは多田さん。参加してらっしゃらない方には「なんのこっちゃ感」しかないと思いますが、現場では妙な連帯感が生まれ、大変面白い展開となりました。完成したストーリーはこちら↓

みんなで作った「可喜庵ライブ小説!」

007(ジェームス・ボンド)が鶴川の駅前に降り立った。柿生駅で降りて(とんかつの)とん鈴に行くつもりだったのに、ひと駅早く降りてしまったのだ。彼は思わずつぶやいた。「Where I want?」。「こっちへおいで」と声が聞こえた。「傾いて折れている竹を整備してくれ」という声だった。「そんなことよりオレはとんかつが食べたい。鶴川の名店はどこだ?」。大きく風が吹いた。風で竹林が大きく傾いた。とん鈴は古いお屋敷なので屋根に竹がかかって大丈夫かと思ったけれど、とん鈴のまわりは区画整理され、とん鈴自体も大きなマンションの中に入って安全だったのだ。町田や柿生が本当に大きな開発の嵐の中にいると実感した。どこからかとんかつの香りがする。やっぱり鶴川なら定食屋「たっちゃん」だ。「さあ、どっちにしよう?」007はつぶやいた。「とりあえずとんかつだ。オレは普段とんかつを好まないが、とんかつのときは赤だしだ。とりあえずおいしくいただいた。結局、令和のボンドガールは来なかった。007は思った。「とんかつがおいしかったからいいことにするか」。「そんなことじゃダメだ。環境問題を考えない007なんているわけがない」、振り返るとウルトラセブンとサイボーグ009が怒っていた。

小説はとんかつ食べたい問題と、環境問題のせめぎ合いがありましたが、最後、多田さんがウルトラセブンとサイボーグ009を出してきて、なんとな〜くすべてをケムに巻いて終了(笑)。小説を講評する多田さんと爆笑する筆者。

text by宇野津暢子(玉川つばめ通信)