「髪のみだれに 手をやれば 赤い蹴出(けだ)しが 風に舞う 憎や 恋しや 塩谷の岬 ・・・・」で始まる美空ひばりの「みだれ髪」の舞台「塩谷岬」を鶴川小・中学校の同期生「亥子の会」で旅をしてきました。
東日本大震災被害地の一つ、いわき市薄磯「塩谷岬灯台」です。10mを超える防潮堤が海岸線沿いに建設され盛土工事中でした。完成後は植林をして森にするそうで、高台移転も進行中ですし、多くの住民は街中に家を設けてしまったそうです。この防潮堤工事が何のために行われているのか不思議に思えました。
震災の当日の様子を、美空ひばりさんの歌碑で津波を見物していた方にお聞きすることが出来ました。電柱が左右に90度振れる震度7の揺れを経験した後、この地では長年大津波の経験がなく、軽い気持ちで津波見物をしていたそうです。そして、第一波が到達しましたが、小さい波だったことが災いしたようです。その後、多くの人が防波堤の上に登って見物。町を破壊つくした、あの巨大な第二、第三波が襲ってきたそうで、町のすべてを壊滅し海に持って行ってしまったそうです。海には大きな島が突然出現して、理解できなかったそうで、次の日には跡形もなく消滅していたそうです。
50㎞先に福島原発
津波のスピードは速く、当人は歌碑に必死に捕まって助かったそうで、歌碑から降りていたら「今の自分はない」と話していました。その後は、灯台が建つ岬に登ったそうです。
翌日、集落へ出かけて「ブーブー・・・・・」と車のクラクションが鳴り響き、会話すら聞き取れない大騒音だったそうです。津波に巻かれて車同士がぶつかり、押しつぶされた結果との話でした。大勢の人が車で一斉に山に逃げようとし、この町では起こりえない渋滞が発生し、津波に巻き込まれてしまったそうです。急がば回れでしょうか、話の最後に、「歩いて高台に避難する」がベストであるとアドバイスをしてくれました。
命を守るには、自分の力を信じて行動することが大事と納得しました。
そして、小名浜港にある震災の被害を受けた「アクアマリンふくしま」もいまは周囲を含め復興し、素晴らしい環境に生まれ変わっていました。