3.11 この数字を私たちは、決して忘れることはないと思います。
5年という月日の経過の受け止め方は、みなそれぞれであっても・・・
今週の朝礼のスピーチでは、リノベーション担当の小栗が、改めて震災の写真を紹介しました。
今見ても言葉を失うものばかりでした。
おりしも4/2(土)弊社可喜庵にて開催される講演は、人と自然の循環型社会をつくる
環境建築家の赤沼國勝先生です。
先生は震災後、東京から仙台に移住して、現地の行政に入り、
2年半の間、災害復興の手助けをしてきました。
弊社可喜くらしー旅とデザインーの企画協力の高月さんから、
「環境建築家」というと耳慣れない職名ですが、実践を通して
建築の設計だけでなく、技術の解決のみでなく、都市計画だけでなく、
教育だけでなく、問題解決のみでなく、なにが幸せで、なにが美しいか。
それら全てを「人々と共に考えてゆく」という地道で遠回りでも、
だれも切り捨てないように考えつづける建築家の一人です。
人の住いの居心地や安全にとって必要な事について、
被災地からの学びと、赤沼氏の 設計活動の長い経験を通して、
今から私たちが実践できることなどをお話いただきます。
また、「発信する人材を育てる」活動と研究によって「場所と人間」
双方の豊かさを引き出してゆく手法の大切さをご紹介します。
どうぞご来場をお待ちいたしております。
と熱いloveなメッセージをいただきました。
つまりは、住宅、建築、環境と、どのフィルターに通したとしても、
地に足の着いた、飾らないお話しが聞けると、西野は理解いたしました。
それこそが、まさに『生きる』ということ、そのものなのでしょう。
女優の大竹しのぶさんが、コラムでこんなこと記してました。
最初の夫ががんで亡くなった時に関わった病院の先生から、
32年ぶりにお便りを頂き、初めは懐かしい思い出に胸が少しキュンとなったくらいだったのに、
突然、何かセキを切ったように涙があふれ出し、止まらなくなった。
そして今、彼に逢いたいとか、一人だからということではなく、あの時の自分の悲しみに対面したのだ。
泣きながら、悲しみというものは、決して消えることが無いということを改めて知った。
だが、心の奥底に沈んでいた悲しみが、表に出てきたことによって、
私はまたひとつ大きくなれたような気がした。
幸せも、悲しみも、苦しみも悔しさも、全部抱えながら生きてゆこう。
人は一つひとつ自分自身で乗り越えてゆくのだろう。何度も何度も泣きながら。
もうすぐ東日本大震災が起きた3月11日がやってくる。
あの日からたくさんの人が悲しみと共に生きている。
寄り添うなんて甘いことを言っていた自分を反省した。
私はこの大竹さんのコラムにとても感銘いたしました。
地に足をつけて生きていくということは、
愛すべき人を亡くした悲しみも『全部抱えながら生きて』いくことだと思います。
それは嗚咽とともに、ドロドロとした、ぐちゃぐちゃな、ブザマな有り様であったとしても、
それこそがまさに生きていることであり、ある意味、生き残ったものの宿命とさえ感じます。
しかしそのドロドロして、ぐちゃぐちゃなブザナな有り様の中にこそ、
一筋の光、祈りがあるように思えるのは、私だけでしょうか・・・
ー合掌ー
(西野博子)